続・久慈誓という男

あの地獄みたいな30分間から1ヶ月以上が経った。
 
「時間が解決してくれる」という言葉は本当らしい。6月20日深夜、気が狂うほどベショベショに号泣しながら「こんなに辛いなら私も推しと一緒に死んでやる」などと喚いていた限界オタクこと私もとりあえずのところは人間らしい生活を取り戻している。この経験を通じて周囲のオタクとの絆はずいぶん深まった。「オタク老老介護」、「ジェネリック推し」といった面白ライフハックも覚えた。妄想の中で幸せになった推しの話が和やかに繰り広げられていたかと思えば、突然"現実"がフラッシュバックした誰かが発狂しだした瞬間に一気に救命救急病棟と化すタイムラインは壮絶の一言だけれど。
 
さらざんまいというアニメが私のオタク人生に残した傷は深い。完治することはたぶんない、と思う。「公式と解釈違い」なんて自分の望んだ結末が与えられなくて拗ねた子供が駄々をこねているだけのことだと思っていた。公式が受け入れられないなら諦めて自分から離れるべきなのに、なぜこうもしつこく呪詛を並べ立てるのだろうか、と。まさか自分がそんな醜い地縛霊に成り果てるなんて思いもしないで。
 
もう期待することには疲れた。それでもどうしようもなく推しのことが好きだから、諦めることができない。諦められるならとっくにそうしてる、同じ想いを抱えたオタク同士で1ヶ月もだらだら傷を舐めあったりしない。この世の全てのコンテンツを味わうには人生は短すぎる。もっと楽しいコンテンツは山のようにある。さっさとそっちで幸せになればいい。
でも、できない。気づいたらいつも推しのことを考えている。それほどまでにさらざんまいという作品が持つパワーは強かったんだと思う。あーこんな結末か、じゃあ私には合わなかったな、サヨナラ。そう言ってさっさと離れたい。でも私の愛する推しはさらざんまいという作品の中にしか存在していない。推しに会いたければ作品に向き合うしかない。でもその作品は最後の最後に私の推しを大切にしてくれなかった、と、残念ながら私は感じてしまった。こうやって何の意味もない「でも」を並べ立てて時間だけが過ぎていく。
 
自分が何をするべきなのかも分からない。全巻揃えるつもりだった円盤もどうでもよくなった。でも救われたい。どこかに救いがあると信じてしまうから、新しい情報に縋り付く。なのにやっぱりそこに推しの姿はなくて、この作品に私の推しは必要ないんだよって言われているような気がして、またどうしようもない虚無感に襲われる。
 
私の推しを私と同じように愛している人にしかこの気持ちはわからない。この作品を客観的に観た人からどんな論理的な解釈を述べられても響かない。この作品をハッピーエンドだと感じる人とは相容れない。
 
私はアニメ評論家でもなんでもない、ただのオタクだ。「推し」という存在があって初めて作品にのめりこむことができる。だから、大団円とされる結末の中に私の推しがいないのに、作品を肯定なんてできるわけがない。「悪い奴」だから大団円に入れてもらえないってんなら、最初から同情の余地なんか一切ないぐらい徹底的な悪人にしてくれればまだよかった。作品のテーマである「つながり」を信じて、キャラクターの内面に想いを寄せながら一生懸命に作品を追いかけてきたつもりだったのに、最終回でそのちゃぶ台を全部ひっくり返された。納得できない。
 
作品のターゲットに収まれなかったんだから負けを認めて去るべき。確かにそうなのだけれど、アニメを創ってご飯を食べている人たちに、こんなオタクがいるってことを知ってほしい、とは思う。本来得られるはずだったある一定の層からの利益を失ったという事実を知ってほしい。創り手なんだから、肯定の意見だけ受け取って終わりにしてほしくない。消費者に対して「ついて来れる人だけついて来ればいい」なんて絶対に言わせない。制作陣の間での認識のすり合わせとか矛盾点とか、そういうところをきっちりしておくだけで無駄死にするオタクを減らせるって知ってほしい。架空のキャラクターだとしても、その人生を創ったのは他でもないあなた達だ。そしてオタクとは、雑誌のインタビューひとつにも敏感に反応してキャラクターを愛し、解釈する生き物だ。
なんでもいいから、どうして私の推しが誰からも忘れられてしまった(ように私には見えた)のか、推しの人生に何の意味があったのか説明してほしい。それだけでかなり溜飲は下がる。その大切な部分の解釈をオタクに任せないでほしい。解釈できるだけの材料もないのに。
 
私はただのオタクだから、こうして自分の気持ちを自分のブログに書いて自分のツイッターに載せる。もちろん、もっと正式な消費者としての要望は公式の窓口に送っている。どこにぶつけていいか分からない感情の塊だけ、こうして書き殴って瓶に詰めてインターネットの大海に流す。世はまさに大SNS時代。願わくば、然るべき誰かがこの遺言を手に取ってくれればいいと思う。